ふぁあまんは、建築業界に身を置く現場サラリーマンです。もう30年近く建設・建築業界にいますが、大手ゼネコン、住宅工務店、賃貸営業等を経てマンションの大規模修繕会社の現場監督をしています。
- 198X年 長野にある信州大学工学部建築工学科に入学
- 199X年 東京にあるスーパーゼネコンに入社。現場監督になる。
- 200X年 建設会社を退職。浜松にある福祉系私立大学に編入学
- 201X年 マンションの大規模修繕工事の施工会社に入社。現場監督を再びやる。
- 2013年 3月にバセドウ病と診断。
1985年、長野市の地附山地滑り災害が発生
長野の大学時代では、1985年7月26日の地附山(ぢづきやま)の地滑り災害を長野市で体験。当日、たまたま松本市から長野市に夜到着したのですが、旅館の上空をヘリコプターが轟音を響かせて旋回していました。テレビを付けると、「地附山が地滑りを起こして死者が発生している」と報道していましたが、その時は既に日が暮れていたため状況がよく判らなかったのですが、翌朝、旅館から外へ出て地附山を眺めて大変ビックリしました。無いのです!山がごっそり削りとられていて、あるべき森林がなく表面の土が露わになっていました。その地滑りの範囲が、あまりに広くて遠くから見ていても怖く感じ、自然の力をまざまざと教えられました。
1995年、日本が変わった年。阪神・淡路大震災・地下鉄サリン事件
ゼネコン時代には、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災がありました。私自身は、東京にいて直接現地に行くことが出来なかったですが、同僚が現地の様子を教えてくれました。同僚は、神戸の現場に震災発生後1ヵ月後に入り復旧活動をやったそうです。一番、辛かったのは24時間重機が動く音、空にはヘリコプターの轟音がしていて気持ちが休まる暇が無かったそうです。 この震災の2ヵ月後に13人の死者をだした地下鉄サリン事件が発生しました。自分の現場にも地下鉄で通勤していた仲間がいましたが、現場は朝早い為被害には遭わずに済みました。しかし、地下鉄は停止したままで帰る事が出来なかったです。毒ガスが使われるテロ事件が、自分が住む日本、それも首都 東京で起きたのは未だにショックです。リアルに、麻原彰晃、オウムシスターズを目の前に見ていた私にとっては驚きでした。また私は、静岡県静岡市が実家であり富士山麓の狭霧高原は夏の間イチゴの高冷地栽培のためよく行く場所でした。その東京、富士山麓にあるオウム真理教の拠点周辺は、警察だらけで毎回検問を通っていた事を記憶しています。今は富士ハーネスという盲導犬の施設となっていますが、あの場所で恐ろしい事が起きていたと考えると何とも言えない気持ちになります。
2013年、バセドウ病を発病して
途中、福祉住環境の勉強のため、福祉系大学に編入したりと、かなり変わった経歴の持ち主です。最近では、男性では珍しい病気で『バセドウ病』を発病して、10キロもの減量に成功しましたが、病気の治療をしたら再び体重増に悩んでいます。 人生には、思いがけない事がいっぱい起こります。楽しかったり、悔しかったり、怒ったりとありますが、『生きていればこそ』それも、楽しい思い出になります。私の使命として、みなさんに楽・住・暮(楽しい・住まい・暮らし)を通して、少しでもお役に立てるように情報を発信していきます。
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